【感 想】
4つの山岳会より11名の参加があり2台の車で徳島を11時過ぎに出発した。
高速でチェーンがいるかと思ったが使わずにすみ、雪は多くあるが菅原の登り口まで除雪されていた。
山スキー(早田、山本、富田)、わかん(小川、島)、スノー・シュー(吉原・お大宗・足利夫婦)、つぼ足(天野)、軽アイゼン(関野)それぞれが、仮眠2時間後歩き出した。天気は上々。
当初、鳥取側から登る予定だったが、早田さんが警察に登山計画を届けると『西側は除雪もされていないし、大雪で入れない、危ないから来るな』とのことで、急遽東側から入ることになったのは一日前の事。
私はスノーシューも山スキーも見るのは初めてなのでとても珍しく、スキーでどうやってこの斜面を登るのか興味津々だった。上手にトラバースしながら登っていく。が、おおかた脱いで登っていたようだ。スノーシューが一番快適そうに登っていった。
雪は固くもなく柔らかくもなく、ラッセルは必要ない。急斜面にかかるとスノーシューと山スキーが次々滑ってしまったが、たいしたケガもなかった。
私はもうすでにはずしてキックステップで登っていた。急斜面を登りきると、なだらかな樹林帯となり快適。
年末に登った氷の山もあっちにあるのだろうなと思いながら、大きな樹を見上げながら歩く。読図もしながら稜線にでると、先行者の足跡が雪の中にある。違うルートから一人歩いているようだ。
扇ノ山の頂上には立派な2階建ての木造の小屋がある。一部ガラス張りになっていて冬の雪によく耐えていると思った。
さあ、昼ご飯も食べて下ろう。これからは山スキーが活躍。さっそうと滑ってうらやましい。でも、つまりつまりのスキーなので、私たちが思うほど全然楽ではなかったみたいだった。
急登の下りにさしかかり、危ないところもルートを見ながら慎重に下っていく。
ところどころ、足がズボっと入り抜けなくなったりする。私も当然抜けると思って、上半身は前へ傾き、左足が膝上まで入って抜けないものだから妙なかっこうになり、左膝の靱帯を痛めてしまった。ゆっくり、一歩一歩、歩かねばならないと深く反省。
無事下山し、山スキー組が早いと思っていたら10分ほど後に下りてきた。富田さんも、右足が私と同じ症状だった。
当初テント泊の予定も、なぜかカニを食べに行く事になって畳の上で寝られる。いろいろな山の会の方と登るのもとても楽しくその晩は楽しい宴会となった。
翌日は、山の会らしく加藤文太郎記念図書館と植村直己の冒険記念館、鳥取砂丘と観光をしながら帰った。(島)