剣山〜一の森

1998.12.20


 目の焦点を一点に集中し、対象を凝視している。なんらかの事情によって視点を移動し、新たな対象を注視しはじめれば、対象と関わりない耳障りな雑音は、無意識のうちに感じられなくなってしまっている。必要な情報のみを選択し余計な情報を遮断しなければ、現代における通常の社会生活は営めない。結果、個々の領域はどんどん狭められ、限定された己に閉じこめられる。そのような状態では、たとえ発達した情報網から膨大な知識を得たとしても、自分の中で噛み砕き血肉とすることは出来ず、単なる知識の集積に終わってしまうに過ぎない。そして、お仕着せの価値観に翻弄されるうち、いつしか自分を見失ってしまい、他者との比較によってしか存在意義を見つけられなくなってしまう。

 しかし、人里離れた自然の中に飛び込めば、意識の働きはまったく異質のものに変わることに気づく。まず、基本的に目の焦点を特定物に合わせることはせずに、はじめから、視野に入る世界すべてを認識するよう努めている。振り出した足の着地点、前方にある半分凍結した沢、強風に撓う木の枝、左側急斜面の浮き石、それらを同時に情報処理することによって危険を察知し、興味ある対象を探り当てる手がかりとしている。

 そこで、特別に注意を傾ける対象があれば、やっと目を凝らす作業に移ることになるが、けっして、それだけに集中しているわけでもない。大抵は、取り越し苦労か期待はずれに終わることになるが、その作業を惜しまなければ、事前に危険を回避し、ときに猪やカモシカ等野生動物との幸運な出会いが待ち受けているのかもしれない。聴覚についても、ありとあらゆる物音が状況判断の大切な材料となりうる。だから、自身の足音を消すため忍び足になるし、小鳥のさえずりを楽しみつつも、遠くはなれた道路を走る車を感じ取り、背後にもしもの危険がせまってないかに注意を払っていることになる。

 さらには、足の裏が地面の状態を絶えず脳に伝達し、脳は身体の各部位にバランスをとるよう瞬時に命令を下す。頬にあたる乾いた冷たい風が、今日の昼食を日当たり良く、しかも南東に面した風裏で取らなければいけないことを教えてくれる。

 倒木のために道を塞がれるが、慎重に急斜面をよじ登りやりすごす。緊張感に五感は、いっそう研ぎすまされる。野生に近づくこの感覚を取り戻したいがために「行場」へと至る寂寞としたこの道をひとり行くのだ。自ら感じ、考え、決断し、行動する世界がここにある。仲間との賑やかな山行も素敵だが、複数だと安心感から、鋭敏さに欠けてしまうきらいがある。

 ブナやミズナラの大木が立ち並ぶ開けた森に入る。春に訪れた際、背丈のあるセリ科の植物などが、やたらと繁茂して道を隠していた為、いまにも蛇が出そうな妖しい雰囲気が、歩みをひたすら足早にさせてくれただけの場所だった。けれど冬の到来が、風景に以外な魅力を与えてくれたことに驚く。

 草が殆ど絶え果て荒涼とした大地は、空間に奥行きと広がりをもたらし、寒風に耐えじっと春の訪れを待つ老木の群を際だたせ、迫力ある構成に為さしめている。かたや、主役の座をほしいままに咲き誇った花達は、その名残を残骸としてとどめるのみ。全体を覆う極端に単調な彩りが渋い趣を漂わせる。「人に媚びない絶景」それは、見る者が能動的に心を動かすことによって、はじめて答えを返してくれる。

 登山道整備の目的で伐り倒したかと思われる放置されたままの木と真新しい切り株が非常に残念だ。完璧な調和は今一歩のところで損なわれている。しかしながら、その無惨な姿が、ある種風情を添えていると言えなくもない。
 完全に凍結した沢にぶつかってしまった。道が氷に分断されている。すべての沢を渡り終えたと安心していたら、もう一本残っていたという誤算と、雪がないからとアイゼンを持参しなかった読みの甘さを反省してから、次に取るべき行動を思案する。

 「一か八かの賭になるなら、退却。五分でも退却。少々時間をかけても100%に限りなく近い方法を・・・。」勝算がみえたので、ザックを前方に放り投げる。平坦とはいえ滑らかで硬い氷上には一瞬たりとも体重を預けないことにした。「妙な気負いは必要ない。生まれてから今まで培ってきた能力をそのまま発揮すればそれでいい。」一呼吸おいてから、跳躍して最初の岩場に飛び移り、ザックを拾い上げた。次に、なるたけ氷の付いていない岩や石を利用して向こうに渡るのなら必然行き着く、対岸やや上流の壁に向かって着実に足場を確保していく。予定していた位置に取り付いたが、今度は、この壁を捲く当初の考えと実際との食い違いを修正しなければならなかった。地形は緩やかといえ、夥しい数の浮き石が確認できるので、あまり上がり過ぎるのは得策でない。かといって下のほうも近づいて見れば氷が多く地形は急であった。一方「壁」とは言っても何メートルもの高さがあるわけでもなく、上部には草木が付き急斜面みたいなものに思える。ただ地質は、どこをとっても脆い。案を練り直してから最善と確信できる直登ルートに挑む。

 かなりの神経をすり減らしたが、沢を抜け出し登山道に下ることに成功した。自分自身に勝つことができた嬉しさは競争におけるそれに勝る。また、熟慮の末退却の判断を下すことも克己心の現れである。見ノ越側からやって来て写真撮影をしていた青年は、この沢を渡りたいが、どうしてもそれができずにいるのだと語ってくれた。高価な精密機械を抱える身には判断の難しいところだったろう。

 「なるほど、幾本かの沢と周辺一帯の雪崩地形が、冬季の間、あの森のひっそりとした佇まいを人目から遠ざける要因となっている。」そう考えれば先の情景が、より価値あるものとして心に刻まれるのであった。

 次郎笈までは足をのばす時間がない。今度の機会とすることにした。目標の一つではあるが、既に充分な収穫は上がっていると言えた。夫婦連れが通り過ぎてゆく。ひとり取り残された主峰には強い風が吹きつけられ長居はできなかったが、一の森から今年訪れた思い出の山々とそれを繋ぐ稜線を眺めると感慨がわき起こり、なかなか立ち去り難い気持ちになった。

 「追分け」を過ぎ林道へ降りる途中で、キノコ狩りに来たと言う50代の男性の方と出会した。まさか、この辺で人に会うことは無いだろうと思いこんでいたせいか、ほっとしたのと驚きで挨拶の声がちょっと上擦ってしまった。ひとり行く山道は、いろんなことが心を満たしてくれるから、淋しく辛いものではないにしても、人恋しくないといえば嘘になる。

 普通こういった旅は、静寂に包まれた人影疎らな山域のほうがふさわしい。しかし、割とメジャーな山域でも根雪がつく直前を狙えば、予想外の静けさの中で比較的安全に、限定された自己の領域から解放される喜びを味わうことができる。 大西

剣山の地図
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