堰堤のない長い本格的な谷。小屋平随一。聞き捨てならないふれ込みが、物好き五人衆を名も知らぬ谷へと駆り立てた。といっても、生死を賭けたヒマラヤの未踏峰の登行とは訳が違う。たかが知れた阿波の山なのだ。
げっぷが出るほど山を知り尽くした五人にとって、緊張も張り合いもあったものではなかった。前夜、未明まで飲んだくれたことが確かな証しといえる。「さて明日は山登りだったかな」。みんな呑気に思いながらシュラフにもぐったはずだ。
さて、その日は来た。飲み過ぎを自覚する者二人、それを面白がる者三人。行けども行けども評判通りの素晴らしい沢のトンネルだった。
一言でいえば、一定の間隔で滝が現れ、それも平坦歩きに飽きたころ、ちゃんと控えていてくれた。滝は大小多彩で、クリアできなくても巻き道がちゃんとあって優しかった。沢にだけ感動したのではない。植林は麓の一部。豊かな夏緑林が目に染みた。
梅雨明けでも水量は豊かで、どの滝も真正面からかかると容赦がなかった。動かなければ肌寒さを覚えるあいにくの曇り空だったが、服が乾き始めた頃、伏流水になった。
まるで沢の亡骸となり藪が壁となっても当然、あすなろ隊はへこたれなかった。オールラウンドプレーヤーの血が騒いだ。結果を見れば、登り六時間の予定は半分ですんだ。帰りのルートが若干ずれたが理想通りの山行だった。
酒が抜けないまま最後まで歩き通した二人には感心した。しかしこのごろ急激に体がむくみ始めた僕が、ブレーキとならず汗を吹き出しながらも歩き通せたのも珍事と思えた。
下降路に使った日奈田峠からの下り道は昭和初期まで山国の幹線道だった。酒飲みや太り過ぎの病人が越えた日もあっただろう。今では、僕ら登山者と呼ばれている人種が、静かな林にまれに足音を響かせるにすぎない。尾野