肉渕〜一の森 2

1998.10.4


 登山者にとって、峠は峰越しの境目でなく更に高みへ向かう通過点にすぎない。山登りに無関心な正常な人間から考えると、峠は高い高い最高地点なのに、登山者は小さな目標の一つにしか数えない。甚だしい場合「あすなろ隊」のように出発点に格下げしてしまう。

 江戸時代、剣山講の要所だったにくぶち峠も今や単に地名の価値しかない。かつて那賀郡の信者は、例えば木頭からだと平家平の西の岩倉峠を経て木沢入りし、にくぶち峠から富士の池に下った後剣山へ登った。誰も僕たちがとったルートを選ばなかったはずだ。

 昔はそもそも峠に達するまで十二分に歩いてバテていただろうし、地図もなかった。第一、楽な道を横に見て敢えて薮に突っ込む理由がなかった。平和な現代でこそ冒険心を満たす手立てを山に求める。一ノ森の一般路に飽き、車、地図、装備が揃った今回の山行は正に「現代に相応しい登山」だった?。

 あとさきになるが、日本百名山の一つ雨飾山も良かった。著者の深田久弥が登った当時は、まだ登山道がなかったという。沢と薮をくぐって到達した末の感動が比類ない名文を生んだと信じる。また、剣山を訪れた帰りには一ノ森へ立ち寄っている。

 当然、歩き抜かれた道を富士の池まで下りたわけだが、仮ににくぶち峠から辿っていれば、どんな感動が彼の魂を揺さぶっただろう。剣山の項の紙数が増えていたか減っていたか。いずれにせよ、今回歩いた14人は百名山の著者も歩かなかったルートの踏破者になったのだ。 尾野

剣山の地図
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