【コースタイム】
5/3 合庁6:45──9:30日和田──12:23小屋──13:10石立山頂14:00──17:001422m(泊)
5/4 1422m6:30──8:40中東山──11:30石立分岐──12:10伊勢の岩屋13:10──14:10丸石──14:40林道──18:30合庁
【感想1】
尾野さんの集まれ!たで喰う虫たちの誘いにのって参気。石井さん、川原さんは、別府峡より、その他7名は、日和田から登る。
日和田から杉林を抜け、尾根に出てから所々に淡紅色の可愛いアケボノツツジを見つけホッとひと息つく。
避難小屋からはブッシュの中、ひたすら山頂をめざす。山頂で別府峡組と合流m昼食をとる。
その後、3人と別れ、一路中東山をめざし、ブッシュに挑戦する。中東山への尾根の途中でテントを張り泊。
5/4又ブッシュに挑戦。途中、猪、鹿の糞を見つけたが、尾野さん期待の熊の糞にはお目にかかれなかった。
途中、石立山を振り返り、尾根の縦走路を眺め、あの道なき道を歩いて来たのだなあーと改めて感激する。
石立分岐で待っていてくれた川原さんの声を聞いてホッとする。その後、無事丸石に着き林道まで下る。やった!川原さん、心配かけました。石井さん、猪子さん、川原さん大変お世話になりました。(滝)
【感想2】
山青葉の季節。県内屈指のルートに挑み、無事成功を収めた。地図では捉えにくい凸凹が少々あったものの、全体的によく踏まれた路で、心配したほどではなかった。
確かに晴天にも恵まれはしたが、何より強い6人の結束力が成功のカギだったと思う。抜群の力量を備えた畠山氏と、怪カウーマン4人に心から感謝したい。
それから、サポート陣の協力がなければ出発さえできなかった事を考えると、この恩はいつまでも忘れがたい。
ところでこのコースの先駆けは、1927年松山高校山岳部という。剣山からはるばる石立直下まで行きながら、ブッシュに断念し涙をこらえ別府まで下りたのだが。
それ以後今日に至るまで、幾人の足跡が残っているかは知る由もないが、いずれにしろ、数知れぬ先人の点検した跡を我々は辿ったといえる。
山の原風景に接する為には、1日でも早く生まれた者が得、と僕は思うのだが、この山稜ではその気持ちも若干薄かった。(尾野)