宗  教


 生物の歴史は争いの歴史です。その争いの中で共生も生まれてきていますが、仲良し、助け合い的共生ではなく、あくまで競争的共生であり、一方が有利になると、すぐに他方は駆逐されてしまいます。通常は種間の争いですが、人間のように個体のエネルギー消費が大きくなると、個体や集団間の争いも生存のためにはまた必要になってきます。

 こういった一般的原理が解明されていないことによって、宗教は生まれてきました。どうして人は不幸なのか、世の中は理不尽なのか、理解できないことが多いのか、どうすれば幸せになれるのか。その答えを示した人が宗教を作り、迷い、助けを求める人々を救うために「教え」としてその答えを広めました。

 ところが現在の世界においては、宗教自身が不幸を振りまく種にもなっています。国家や宗教、民族という概念は、それ同士の争いを生み出します。国家や宗教、民族という単位は、個体間の争いを解決するためには非常に有効でした。しかし、それ同士の争いを解決する上においては無力です。

 人を幸せにするための宗教が、それを信じているがために迫害し、迫害され、追放し、追放されたり殺されたりすることは本来の目的に合致しません。世界を理解するために何を参考にするかは個人の自由であって、国や民族や親が強制するのは間違っています。

 将来の大きな戦争、大量殺戮兵器の使用を許さないためには、国家、宗教、民族という呪縛からは逃れなければならないでしょう。現実には存在し続けるとしても、心の中の垣根は取り払う努力が必要です。特に宗教は心の中に存在し、心を開放するものですが、それ自身が垣根を作るのでは矛盾しています。しかしこの矛盾も受け入れる受容性ことが必要です。

ライフスタイルアドバイス
はじめに戻る