児童虐待


 怒りや攻撃性は社会的に形成されます。怒りや攻撃性は生育過程で獲得され、成人後それらを内に秘めたまま、生活を送ることとなります。それらは社会生活を送る上では、罰を与えられる、または攻撃をしてはいけないという知識によって抑圧の下に押さえ込まれています。

 しかし、家庭においてはその抑圧が弱くなり、弱者に対して怒りや攻撃性があらわになることがあります。

 子どもに人格を認めず、自分が自由にできるおもちゃであると考えている大人は決して少なくありません。

 かつて大人による子どもの殺害は、異常で病的な行動だとみなされていました。しかし、もともと加害者である大人が病気であったというのは間違いであるし、加害者の親や周囲の加害者に対する教育や、加害者の学習のせいだというのも間違いです。

 生まれか育ちかと言う議論は消え去る気配はありませんが、どちらかに原因を特定することはできません。

 子どもが怪我を負わされたり殺されたりするのは、様々な動物の場合でも存在します。人間は他の動物と同様に不完全なものであり、生きていくためにはその不完全さを学ばなければなりません。

 自分の子どもを柱に縛り付け、打ち据えてぐったりしたものをそのまま放置したり、泣きわめく子どもを階段の上から放り投げたりできる人間。それに対して重い罰を与えるべきなのか、矯正する方法を探るべきなのか。

 結論は出ていませんが、被害は防がなければなりません。このためには、より多くの真剣に子育てをしている人が、様々な親とかかわりを持ち、事件の危険性を察知するしかありません。また、隣近所の役割も重要です。

 特に年をとられて時間的な余裕のある方は、おせっかいであると嫌われようと、子どもの泣き声が聞こえる家庭とは関わりを持っていただきたいものです。そんな関わりは真っ平ごめんだというような、性根のねじ曲がっているお年寄りは、世の中は必要とはしません。

ライフスタイルアドバイス
はじめに戻る