時事メッセージのページ 2000年前期

宗教の意義
廃棄物削減
仕事と報酬
雇用調整と賃金ダウン
パラサイトシングル
独創性の開発
日の丸・君が代の法制化
プレイステーション2の魅力
インターネットの普及とコンテンツの充実
住民投票
予算と物価高騰
年末年始


宗教の意義(2000.6.30)

 仏教などの宗教の目的は、超能力的人間を作るものではありません。本来悟りとは、差を取り除き、平等・気配りを大切にし、ものの道理を明らかにして人間としての特性を高めるためにあり、決して高僧、教祖などと称する特定の人の所有物ではないのです。

 宗教の本質は、むしろ超能力や祈祷、御利益というものの裏面に隠された本性や、社会生活における価値の実態を解明するものです。そして、超能力や祈祷、御利益という麻薬に類似する刺激に崩れやすい自己の弱さを悟り、人間の持つ欲望にうち勝つための、免疫性や抵抗力を養うためのものです。

 例えば仏教の目的は、網の目のように張り巡らされた、欲望に起縁する障害物や一切の錯覚妄想にとらわれることなく、人生のリズムに適応した自己を確立することにあります。

 したがって、人の犠牲によって自らの幸せを優先する社会の問題点を認識し、他人の幸せを考えてあげられる豊かな人間の養成こそが真の目的です。

 言い訳に決断なし、惰性に進歩なし、行動を以て悟りを表現することが、今社会から最も期待されている宗教の役割でしょう。



廃棄物削減(2000.6.18)

 地球の温暖化や汚染のため、50年後には環境に影響が出始め、それが人類にとってよくないことになるというのは、共通の認識としてあります。それに対応するため、二酸化炭素の排出量の削減や、リサイクルによる廃棄物削減などが検討されています。

 しかし、経済が成長するのと環境の悪化は正比例し、技術革新などで比例定数は小さくなっても、マイナスにすることはできません。そのため、地球規模のゼロ成長、マイナス成長が望ましい傾向といえます。

 日本においては、オイルショックの経験により、質素倹約の方法についてのノウハウは蓄積されています。企業や政府、マスコミは消費を煽り、それに踊らされる国民もまだまだたくさん居ますが、貧しくとも心豊かな暮らしを送っている人もたくさん居ます。要は世界中の人が貧しくとも心豊かな暮らしを送るようになればよいのです。

 ところが、発展途上国と呼ばれる国の人々の生活は、これから先進国並の生活水準にならなければなりません。先進国並というのは、先進国の質素な生活ではなく、先進国の物質的に豊かな生活を指しています。そして、それを禁止する権利は誰にもありません。

 では、発展途上国の人々に、先進国の物質的に豊かな生活ではなく、先進国の貧しくとも心豊かな暮らしを目指してもらうことは可能でしょうか。

 これも不可能です。物質面で満ち足りた生活を経験して、初めて質素な生活をすることができるのです。一生貧しいままということが確定していると、少しでもよくなりたいと考えます。いつでも物質的に豊かな生活を送ることができる背景があってこその”清貧の生活”なのです。

 つまり、世界規模の二酸化炭素や廃棄物削減のためには、民衆レベルからの運動は困難です。せいぜい過剰包装の品物を買わない努力くらいしかできないでしょう。企業や政府が景気向上を目指し、消費を煽っている限り、廃棄物削減は困難です。

 元々人の暮らしというものは、貧しいところから始まりました。そのため、先進国では行政によって、健康で文化的な最低限度の生活を送ることができるようになっています。この下のレベルの保証だけではなく、上のレベル、贅沢病に対する規制が必要です。また、発展途上国においては、その国の特色を生かし、質素だが心豊かな生活が送れるようなライフスタイルモデルを奨励することが望まれます。



仕事と報酬(2000.5.20)

 サラリーマンは与えられた仕事をすることによって、報酬を得ます。その報酬は、行った仕事の価値に対して支払われるいると思われがちですが、実際は仕事の内容ではなく、仕事をした人を基準に支払われています。つまり、入社1年目でもできる仕事をしていても、それをしている人が入社20年目だと、その人には入社20年目の人に応じた報酬が支払われているのです。

 一時期成果主義や能力主義といった人事制度が導入され、人事制度を改革した気になった企業もありました。しかし、能力を評価するのが上司であったために、仕事を基準とした能力主義にはなりませんでした。従来の”上を見て仕事をする”やり方が改められなかったのです。

 報酬は、本来その人が行った仕事、特に企業においては、金銭換算した仕事に対して支払われるものです。金銭換算できない仕事もあるという人もいますが、その仕事がなくなったときの損失を計算すれば、換算できます。仕事はできないけれども、性格がいいので、職場の”和”という面で貢献していると主張する人がいるかもしれません。しかし、”和”は性格がいい人がいなくても、業績が好調なら保てるものです。

 報酬は本来行った仕事に対して支払われなければ、不公平です。前年と同じ仕事ししているのに、報酬が上がるのはおかしいと、早く日本人は気づかなければなりません。前年以上の仕事をしたと、誰に対しても説明できて初めて、報酬は上がるべきものです。

 特定の人による人の能力評価で給料を決めてはいけません。評価の対象はあくまで仕事の結果評価でなければなりません。



雇用調整と賃金ダウン(2000.4.24)

 バブル崩壊以降、リストラという言葉が流行し、その方法として雇用調整による人員削減が行われるようになり、定年まで勤めることのできない人が増えました。

 終身雇用制を維持するなら、人員削減よりも、賃金ダウンのほうを選択したほうが、職を失う人は少なくてすみます。ではなぜ、賃金ダウンより雇用調整が優先されるのでしょうか。

 これは、実は、終身雇用制が原因なのです。日本の会社はここ数十年間、量的拡大のみを志向し、質的な向上や改革を怠ってきました。その結果、学生時代はそこそこ勉強ができ、入社試験が受かっていても、実際の仕事となると何十年たっても新入社員ほどもできない社員が存在するようになりました。

 そのような社員は、与えられなければ勉強もしないで、年功序列賃金システムによって、賃金だけは上がっていきます。そのため年収の半分も仕事ができない社員が出来上がったのです。しかし、会社はそのような人を抱えておく体力はなくなってきています。そして、会社内部の人間は、その人がそういう人だとみんな知っています。だから、リストラにおいては人員削減を優先しなければ、社員の了解が得られないのです。

 もしも雇用調整よりも賃金ダウンを優先すると、普通に仕事ができる社員は、やる気がなくなるでしょう。優秀な社員は転職するかもしれません。そんな危険を冒すよりも人員削減するほうがいいでしょう。

 企業においても、また国や地方公共団体のような機関においても、借金を抱えて倒産寸前になる前に、また本格的な人員削減を行う前に、努力を怠ってきた社員を整理しなければ、士気を維持した財務改善は難しいでしょう。自己責任がこれからの原則です。自分で自分を磨かずにいた責任は、自分が取るしかないのです。



パラサイトシングル(2000.4.12)

 パラサイトシングルとは、結婚ができるのにしないで、親のすねかじりを選択して生きる人たちのことです。気を使わないで、経済的にも豊かに生きることを求めた人たちとも言えます。

 しかし、中高年の雇用危機が話題となり、失業する人としない人の格差が激しくなっています。親が失業すれば、元々収入の少なかったパラサイトシングル達は、貧乏な生活を強いられます。あわててがんばったところで、いい給料が出るわけではありません。それに対して、親が失業しないパラサイトシングル達は、楽な生活を続けることができます。

 失業した中高年は自分の実力のせいとあきらめて、新たな生き方を模索するしかないのでしょうが、専業主婦や子どもはそうはいきません。自分の努力と関係なく、貧乏な生活に突入してしまいます。

 この格差は、妻と未婚の若者が、夫の収入に頼り切っているのが原因です。そして、パラサイトシングルを選択したりして、親に頼ってしまう原因として、社会が努力に対する公平さを保っていないことが挙げられます。企業が能力主義になったと言われますが、ちょっとくらい勉強ができても、いい給料がもらえる女性や若者はごく一部でしょう。社会システムを変えていかなければ、この問題は解決しそうにありません。



独創性の開発(2000.3.19)

 独創性は若い人の特権のように言われます。では何故年を取るにつれて独創的なことができなくなるのでしょうか。

 新しいことを考えるのは、新しいことを学んだ後です。毎日、毎月、毎年同じことをくり返している生活に、独創性はありません。例えば、家事なら上手になるでしょう。仕事もベテランにはなるかもしれません。しかし、初めて家事や仕事をはじめた頃のような工夫や努力は、なくなってしまいます。

 この状態から抜け出るためには、今まで読んだこともないような分野の本を読んだり、サークルなどに入って未知の人と知り合うのがよいでしょう。人権問題について考えたり、進化論を学んだり、現在の日常生活とは離れた、本質的な問題に対してあれこれ考えを巡らせ、今までの自分の生き方にはない新しい思考回路を形成し、新しいことを始めるのです。

 若い頃にはなかった経験と、新しい常識によって、それまで抱えていた難問が新たな手法で解決できるでしょう。

 独創性は年齢に依存するものではありません。意識的に開発できる能力だと考えられます。人間は本来、安定を志向します。しかし、これをぶち壊し、新たな分野を一から勉強する機会さえあれば、独創的な人生への扉が開けてくるでしょう。



日の丸・君が代の法制化(2000.3.12)

 日の丸・君が代が法制化されました。どうして、国旗や国歌を法制化するのが問題になるのかご存知ですか。

 それは、日の丸・君が代を象徴として先の戦争が行われたために、日の丸・君が代に対して不快感を持つ人が日本人の中にもたくさんいるためです。ましてや植民地支配されていた国々となると、なおさらです。

 国際的な場における友好と交流のシンボルとなるべき国旗や国歌にの選定に際しては、明らかに不快感を持つ人が大勢いるものを選択するために、選定方法を明確化し、その人たちに対して充分な説明を行なえる方法を取るべきでした。

 特に君が代については、「君=天皇」としない解釈は無理があると、普通に考えればわかります。それを教育現場で強制するのは、教え子を戦地に送りだした経験のある元教員にとっては、たまらないことではないでしょうか。

 差別解消や国際交流の第一歩は、相手の気持ちを思いやることです。しかし、今、日の丸・君が代を法制化した本当の理由は、最近言うことを聞かなくなった大衆に言うことを聞かせるために、まず若者から慣れさせるためではないかと勘ぐることもできます。



プレイステーション2の魅力(2000.3.4)

 プレイステーション2が発売開始され、前評判どおりの売れ行きのようです。

 今回売れている原因として、大きく分けて2つ、
1.ゲーム画像が目新しい
2.DVDプレーヤーとして使用できる
 ということが挙げられていますが、私は次のことに期待しています。
3.インターネット端末として使用できる
4.OSがリナックスなので、ビジネス機としても使用できる

 初めてパソコン(マイコン)というものが発売され始めた頃は、日本語は使えなかったせいか意外と価格は安く、10〜20万位でした。

 ところがNEC98などで日本語が使えるようになったとたんに高価になり、本体40万、ディスプレイ15万、ドットプリンタ15万が標準で、ソフトも¥58,000とか¥98,000で(価格を見ただけで何のソフトかわかった時代でした)、総額100万位かかっていました。

 「車とパソコン、どっちを選ぶか」なんて選択肢で悩んだ方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 最近、仕様がNEC98から世界標準になって、やっと価格は下がり始めました。事務用に使うのであれば、レーザプリンタ込みでも20万もあれば一式揃います。液晶ディスプレイをつけても30万位でしょうか。

 しかし、100万近くかかった頃は思い切って買うことができたパソコンを、私は最近思い切って買うことができません。

 それは、確かに最近のパソコンはソフト・ハード共に進化し使い易そうですが、事務やインターネットを行うには最新の機能が必要なくて、魅力を感じなくなってきたことに原因があるような気がします。

 そして、最近のパソコンに感じられなくなってきた、新しい魅力を持った製品として、プレステ2が売れているのでしょう。

 残念ながら、現在はインターネットに接続することも、OAソフトを使用することもできません。二兎は追っていないようで、ビジネス関係への対応も未定のようです。

 しかし、インターネット接続機能や、今までとは一線を画するOAソフトが提供され、この方面の具体像が見えてくると、もっと大化けする可能性があると感じられます。事務用として職場で使うパソコンとしても、対価格性能費は抜群です。

 定価が半額程度になり、職場にプレステ2が並ぶ日が近いことを期待しています。



インターネットの普及とコンテンツの充実(2000.2.26)

 米国ほどではありませんが、日本でもコンテンツが充実し、インターネット利用者は増えてきたようです。そこで、洗濯機を買い換えるために、ネットを利用してみました。

 まず、現在どのような機種があるのか、各メーカのカタログに当たります。次に価格を調べるために、サイバーモールなどを探します。これでいくつかの情報は手に入ります。

 そして購入です。大型家庭用家電製品は、数年から数十年に1回買い換えるという品物ですので、じっくり吟味して、価格性能比のよいものを選びたいものです。

 購入に当たっては、ネット購入との価格差や、修理のしやすさなどを考えて、地元の電機店も当たります。私の住んでいるところにも、全国チェーンの○○電機や、地元大型店の○○家電などがたくさんあります。

 しかし、ここで行き詰まってしまいました。インターネット上には、地元電機店の販売価格一覧表も、本日の売り出し商品もありません。しかし、新聞の折り込み広告などから商品を比較し、購入先を決めるのは非常に困難です。

 そこでネットを利用したかったのですが、一番大事なところで詰まってしまいました。これは日本における現在のコンテンツの特徴を表しているような気がします。発信している情報の質・量が少なすぎるのです。

 大企業は専用のページを解説し、充実を図っています。書籍やコンピュータ関連機器の検索や購入は、ネットを利用した方が便利で早いでしょう。しかし、日本においては、毎日必要な情報は発信されていません。

 生鮮食料品や日用品、白物家電などはネット上の情報が不足しています。近所の八百屋に行く前に、何が安いかネットで確認したり、スーパーで売られている環境にやさしい洗剤を捜したりすることが出来るようになって初めて、インターネットは役立つものになるでしょう。



住民投票(2000.1.23)

 徳島県の第十堰改築に関しての徳島市の住民投票において、事業促進連絡協議会は投票のボイコットを求めていたそうです。理由は第十堰改築事業が住民投票に馴染まないということです。しかし、住民投票をボイコットすることは、第十堰などに関係なく、してはならないことです。ましてやそれを求める人たちは、法律を守るという基本的なことを知らない人たちです。

 住民投票は選挙とは違います。選挙は権利であり、それを行使するかどうかは、選挙権を持つ人が決めることができます。しかし住民投票は法律によって”義務”として、住民に意思表示を求めているものであり、住民投票には納税同様義務があります。今回はたまたま投票をしない人に対する罰則規定はなかったのですが、税金未納の場合のように罰則規定も設けることができる法律です。

 「悪法も法なり」という言葉があるように、また、消費税のように反対者が多くてもいったん導入されると従わなければならないように、住民投票条例も条例として成立した以上は従う義務があります。それに対してボイコットを求めると言うことは、法律に従わないと言う意志表示であり、法治国家に対する否定です。

 投票条例そのものに対して疑問があっても、改築に賛成の人は、今回は投票をして、改築に賛成の意志表示をしなければなりませんでした。投票しなかった人がみんな堰改築に反対しているということは言えません。投票をしなかった以上、改築に対しては反対でも賛成でもないとみなされても仕方ありません。投票しなかった人の意見が分からない以上、徳島市民は90%以上が堰反対と結論付けられます。

 こんな簡単な話が分からない人も中にはいらっしゃるのでしょうけれども、単に感情的になっているだけだと思いたいものです。



予算と物価高騰(2000.1.16)

 2000年度の予算案では、歳入の38.4%にあたる32兆6100億円が国債です。そして今の小渕首相が国債発行額がずば抜けて多く、現在84兆円、世界の借金王自ら名乗っています。

 2位は中曽根首相の68億円、3位が橋本首相の64兆円です。そして、2000年度末には国債発行残高は364兆円、国と地方を合わせると、647兆円にもなります。これを1億人で割ると、6,470,000円。

 いきなり1人647万円の税金をかけるから払いなさいと言われたらどうしますか。しかし、本当に私たち日本人は国を通じてこれだけ借金をしているわけです。では、どうやって払うでしょう。個人や会社なら、歳出を切り詰めて少しづつ返していくほかはありません。

 ところが国には他によい方法があります。それは物価を釣り上げるという方法です。単純に物価が10倍になったとすると、消費税は10倍入ってきます。ということは647兆円の借金が64.7兆円になるということです。

 物価が10倍になると、収入や預貯金は1/10になるのと同じです。私たちの生活は非常に苦しくなりますが、こうやって借金を返していくしかないでしょう。つまりこれは景気に対する見返りであり、選挙の時に私たちが選んだ方法なのです。

 まあ日本の物価だけが飛び抜けることは最早不可能なので、10倍ということはないでしょうが、10年後に倍以上になっているでしょう。



年末年始(2000.1.4)

 今回の年末年始は、いかがだったでしょうか。予想されていた大きなトラブルもなく、平穏無事でなによりでした。大きなニュースと言えば、エリッイン大統領の辞任くらいですね。
 ところで、最近の傾向として元旦から営業している店がたくさんありました。利用する立場から言えば、便利になりました。もうおせちや保存食は必要ないですね。昔はおせちに飽きたらカレーやインスタントラーメンでしたが、いまはちょっと出かけ、外食でも家でも、好きなものを食べることができます。

 これは、逆の立場から言えば、正月返上で働いている人がそれだけ居ることになります。正月に働けば儲かるのでしょうが、本当にそこまでしたいのでしょうか。普段働いていないなら、正月くらいは働いてもいいかも知れません。しかしいつも働いているなら、金を稼ぐためだけに正月返上で働くのは、恥ずかしいことではないでしょうか。金儲けのためには仕方がないと許してしまう日本人には、恥の意識ははなくなってしまったのでしょうか。

 ”そんなことは人の勝手”と言われる御時世ですが、生活に余裕がないのか、気持ちに余裕がないのか。正月くらいは世界中の人が休んで、社会や環境、生き様を考える日にしたいものです。


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