<追悼 石本卓さん>

−H13.2.9 尾野さん(徳新)の記事−


 祖谷山系の黒笠山(標高一、七○三b、一字、東祖谷山村境)で一月二十八日に起きた城西高校山岳部顧間の石本卓さん(三六)=石井町藍畑=の滑落死亡事故は、冬山の厳しさをあらためて見せつけた。

 石本さんとは一緒に山に登ったことがあるが、経験豊富で行動も慎重たった。県内高校登山の若手指導者としても有望視されていただけに残念でならない。彼の死を無駄にしないためにも、事故を教訓として生かしたい。(社会部・尾野益大)


 石本さんは一月二十七日、一宇村白井集落から部員の生徒三人と、雪に覆われた黒笠山に入った。積雪で進む方向を見失い、中腹付近にテントを張って野営。翌二十八日、ふもとへ引き返すため、山頂東側約二キロの山腹の斜面(一、○○○m付近)を通過する途中、約二十m滑落したとみられている。

 事故当時、貞光署員とともに現地に向かった本社脇町支局の記者によると、登山道は雪に覆われて分からず、所によってはひざから太ももの位置くらいの深さがあった。約二時間歩いたが、現場にだどりつけなかったという。二次遭難の恐れがあるとして警察の現場検証は今もできていない。


●登頂を断念

 黒笠山は山頂と登山口との標高差が約千bあり、夏でも片道三時間半〜五時間かかるきつい山として知られる。一〜四月ごろにかけて、祖谷山系や剣山山系では尾根、山頂部に一m以上の積雪があることも珍しくなく、中腹より下でも雪が消えない日が多い。

 積雪期の登山は登山道が雪で隠れるため、登山者は安全と推測できる場所を雪をかき分けながら進む。経験が未熟たったり吹雪で視界が悪かったりすると、方向を誤り、斜面を踏み外す危険がある。

 風速が二m増すことに体感温度は一度以上低くなるといわれ、冬は他のシーズンに比べて体力の消耗が激しい。いったん道に迷うと、平常心を失って的確な判断ができない状態になる。

 「黒笠山は徳島で最も好きな山の一つ」と、石本さんは話していた。登った経験が何度もあり、生徒とともに冬の山頂に立ちたかったのだろう。

 県警や城西高校の調べによると、石本さんたちは事故のあった二十八日、山の状況などから登頂をあきらめたようだ。登ってきた道を忠実に引き返していたかどうかははっきりしないが、適切な判断だったと思う。登山計画書を事前に同校や県警に提出。生徒の保護者も同意していた。


●不慮の事故

 二年ほど前、石本さんとは読図の研究を兼ねて木頭、木沢村境の平家平(一、六○四m)に登ったことがある。同校山岳部員も一緒だった。石本さんは部員の体力に合わせて進み、ぺ−スの配分やルート選択も慎重で、決して無理はしない登り方をしていた。それだけに、事故は今でも信じられない思いだ。

 同校や県高体連の登山関係者も、口をそろえて「無理な登山ではなく、不幸な不慮の事故たった」ど話す。

 最近起きだ県内の山の事故は、一九九五年十月、木屋平村、穴吹町境の正善山(一、二二九m)にグループで登っだ七十代の男性が帰りの道を誤り、夜、単独下山しようとして転落死した。黒笠山でも九三年八月、男性三人が黒笠山の近くの尾根に迷い込んで下山できず、ヘリコプターで救助された。九四年十二月には、山頂直下で男性が雪に足をとられて約四十m滑落し、軽いけがをしている。

 「四国の山といっても、甘くみてはいけない。特に冬山は常に最悪の事態を想定して準備する必要がある。十分な体力がなければ、もうろうとした状態で歩くことになり、それが遭難につながる」

 山の気象や遭難に詳しい元愛媛県山岳連盟理事長の小暮照さん=松山市在住=は、そう警告する。


●将来を嘱望

 石本さんは九七年、城西高校に赴任し、山岳部に女子部を創設。九八年の県総体登山競技で副監督として男子を優勝、女子を二位に導き、九九年には監督となって男女ともにインターハイ出場を実現させた。

 県高体連登山部の部員数は百人ほどで、県総体への参加校も十四校と少ない。指導者も三十代の若手は四、五人しかいない。石本さんは九九年度の総体から大会審判員を務めるなど、活躍が期待されていた。

 六一年から二十三年間、県高体連登山部専門部長を務めた北村健三郎さん(全国高体連登山部顧間)は「石本さんの事故が冬山の厳しさをあらためて教えてくれた。教訓として生かすにはこれからどうすればよいかを考えることが大切だと思う。高校登山の自粛といった状況にならないことを願っている」と話している。


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