しがきの丸雑感(1663.1m)

2004.1.15



 今年に入って3回登山に行った。「1回目は美馬町の竜王山(9日)。2回目は愛してやまない我が会で行った西明石山(11日)で3回目が上記の題の「しがきの丸」である。

 1月に入りあちコチから積雪の便りが届き、剣山山系、祖谷山系は積雪の為高い山の山行は断念せざるを得ずどうしょもない。そこで今の積雪程度位なら行ける山はないものかと国土地理院発行の「雲早山」の地形図(1:25000)を取り出し研究にかかった?

 「雲早山」の地形図(1:25000)に載っている山名は 雲早山、高丸山、西三子山、砥石権現、しがきの丸、六郎山であったが、そのうちの登っていない山がしがきの丸と六郎山である。

 登る山を「しがきの丸」に決めようと思ったが国土地理院の地形図に点線(地形図の表示では幅員1.5m未満の道路となっている)の有る歩行経路図が載っていない、今まで行った山には大概点線のある歩行経路図があり安心して山に登れたのにこの山には歩行経路図がない。

 少し不安になり「しがきの丸」の事を少し調べようと「徳島の静かな名峰」(尾野益大著)を取り出して読んでいくうち、「しがきの丸」が出てきた。情報文も載っているし、地形図(1:50000)に点線入りの歩行経路図も書いているのでこの山なら行けると思いこの山に行く事にした。

 登山途中道に迷うなど困ったことがあったらこの本を読んで参考にしようとザックの中に仕舞い込んだ(後に造林小屋の前でルートファインディングに困りこの本を何度も読み大いに参考になった)。

 翌日木沢村役場に電話して徳島から「しがきの丸」の間の道路事情を聞いたところ土須峠と八重地トンネル越えは積雪の為道路事情は良くないとのことで、来るなら国道195号線の鷲敷経由なら来れるという話であったので、行く道を国道195号線の鷲敷経由で行く事にし、その晩「善は急げ」?で登山には何度も一緒に行っている山友のKさんに「しがきの丸」の山行に同行を求めたところ参考の計画を待っていたかのような様子で二つ返事で行ってくれる事になり「しがきの丸」の山行が決まった。

 日程は徳島から登山口まで車で3時間、登山行程は登山口から山頂までを「徳島の静かな名峰」(尾野益大著)を参考にして2時間20分となっていたので登頂時を12時とし、時間を逆算して徳島八万町を出発7時としたが、この甘い計算と造林小屋前でのルートファインディングを誤った事が原因となり「しがきの丸」の登頂は果たせなかった。

 当日15日は快晴 朝7時丁度に八万町を出発したが、その日は平日だったので通勤車が多く勝浦橋辺りは大変混雑していた。大野の持井橋位迄は通勤者の対抗車両が多く、何時も行く山行は休日が多いのでこの日の車の多いのには少し驚いた。途中木沢村役場に立ち寄り「しがきの丸」の詳細な登山経路図があれば教えて貰おうと思って行き職員に聞いたが詳細な登山経路図はないようであった。

 後日(29日)西三子山に行った際にも木沢村役場により西三子山の登山経路図を別の職員に問い合わせてみた。色々探した結果、木沢村全図に書いて有ることが解りこれを一枚100円で"コピーして貰った。この木沢村全図には木沢村内の主な山の登山経路図が載っており、今後の山行に大いに役立つ事請け合いである。「しがきの丸」に行くルートも別に2ヵ所あることも解り木沢村役場に2度も寄った甲斐があった。

 登山口には丁度10時に着いたが登山口の駐車場(2台くらいのスペース)には先客がいて駐車する事が出来ず、登山口から少し過ぎた所の橋を渡り30m位行った所に広場があり、其処に駐車する事にし、身支度も整えた後又橋を渡り登山口に行ったら先述の車が2台駐車しその荷物に猟犬の檻が乗せられていた。おそらく猟師が猟犬2匹を引き連れしがきの丸目指して猟に行ったものと推測される。山友のKさん曰く「今日はちょっと気ぃつけて行かなんだら"猪のしし"と間違えて撃たれるやらもわからんなぁ」と言ったので何時も先頭を歩いているので暫くはいい気持ちがしなかったが、山の高度が増すにつれ身体が疲れてえらくなり何時しかその事は忘れてしまっていた。

 登山道はしっかりしているが造林小屋までの間に数ヵ所、道が全幅といっていいほど崩落していた。この道を夜間の山行なら懐中電灯は必携であると思われる。途中に道まで大きく迫り出してきた巨岩があったり、巾の狭い橋があったりして造林小屋まで30分くらいかかって着いた。造林小屋の前で暫く休んだ後行く道を探したが、造林小屋の前は河原でどっちに行けばよいのか皆目検討がつかず、河原の為気も無く赤テープもない。そこで例の本を取り出して読んだら、左岸に渡ってまもなく枯谷となると記述して枯れ谷を進んでいくように書いていて、本の地形図では樫手谷川の上流に向かっていくように登山経路図は書いてある。どちらの方に進めばよいのか迷った挙げ句、地形図を優先し川の上流に向かっていくうちこの方ではないような気がして又元の造林小屋の前まで引き返し、枯谷と思われる方向に進んでいく事にしたがこの時既に時計は11時を回っていた。

 予定より30分くらいは充分オーバーしている。枯れ谷を尚も進んで行くうち赤テープが所々に見えだし谷も狭まった処の左の杉林に赤テープが見えた。この時初めて此方のルートが正しい事が解った。造林小屋のルートファインディングの判断を誤ったばかりにこの時の30分と全行程時間の内の20分を短縮出来ると甘く見たものとを合わせての約1時間が後になって大きく影響し登頂断念という結果になった。

 もう余り時間が無ない。当面目指すは"滝"だ。急斜面も一気に登った。水平動も駆け足で走った。道の左側の下に谷川らしき風景が現れて来た。早く滝が見たくて急な坂道を降りて行ったが高い崖で谷川に降りられず来た道を喘ぎながら又元来た道に引き返した。"急がば回れ"とはこの事か。

 尚も進んでいくうち道も無くなり2m位の崖を降りると其処が谷川で目指す滝があった。が、滝を見る余裕がない。例の本では滝から頂上まで1時間30分。未だ全行程の半分も来ていない。しかも初めての道だ。急がなければと気は焦る。対岸の進路を探すべく赤テープを必死で探す。あった。

 道は急勾配であるがこれも一気に駆け上がると未だ新しい県有林の標識が立っている。やや水平動を捲きながら小走りで進む。もう何時かなぁ。時間が気になるが時計は胸懐の奥のポケットに仕舞っているので取り出せない。枯谷に入って以来時計は見ていない。Kさんにも聞くがKさんは少し遅れ気味で後ろにはいない。踏み後はまあまあついている。眼前に山が迫ってきた。この山に突き当たったら道は左になる。左に取ろうと思い左に曲がった途端"あぁやんぬるかな"眼前に無残にも朽ち果てた丸太の木が2本だけを残した橋が架かっていた。枯れ谷は雪に埋もれて谷は渡れない。上流に迂回しようにも道もなく然も雪に覆われて行かれない。暫し佇む。其処に少し遅れて来たKさんが「どしたん、いけんの」と聞く。橋を指さす私。「ありゃぁあ」とKさん。時間を聞くと12時チョト前と言う。暫く考えていたが、これから先の行程とこの現状と時間では登頂はとても無理と判断し登頂は断念した。「春になったら又来んで」とKさん。撤退も勇気の内かと自分に言い聞かせながら.........

 今まで張りつめていた気分が一気に萎えたが、気も楽になり零れ日を探して食事をする事にし、鷲敷のローソンで買った梅干し入りのおにぎりを頬ばり、おかずは例によって餅入りのうどん。湯を沸かしながら、うどん、具、スープ、餅を入れたが餅がなかなか煮えず、餅が煮えた後ガスの火を止めたら"うどん"が煮え過ぎうどんもスープもどろどろになっていたが、寒い時期に温かいモノはなんでも美味しく戴けるものでこの出来損ないのうどんも結構美味しかった。

 自衛隊にいた頃厳寒の中での演習中の食事は何時も冷たいモノばかり喰わされていたので、当時にこのような携帯のガスコンロがあれば温かい食事が摂れたのになぁと冬のガスコンロを使用する度当時の事を思い出す。喰い終わった飯盒などは演習中の事とて水もなく雪で洗って次の食事に備えたものであった。遠い昔、北の大地での青春時代の一齣です........

 話は元に戻す。下山途中、来るときは忙しくてゆっくり鑑賞?できなかった滝に寄り、この滝をバックに写真を撮ったり、枯谷ではゆっくりと休憩したりと、来る時とは大違いの気分である。それと一寸不思議なのが、山に登って行く(上を見る)時はなかなか「赤テープ」が見えにくいのに、下山時(下を見る)には「赤テープ」がはっきりと解るのはどういう事であろうか?

 崩壊している登山道を注意しながら、眼前に以前来た事のある西三子山の雄姿を見ながら登山口に着いた。

 登山口の駐車場には未だ檻を積んだ車が駐車してあり「撃たれんでよかったなぁ」Kさん。「ほんまになぁ」と私。車を停めてある駐車場への帰り道、此の山の谷川に掛かる橋の上に佇み、今日登頂を果たせなかったしがきの丸を振り返り見たら、冬の澄み切った青空の向こうに何事もなかったように悠然と構え聳えていた。山の彼方から「春になったら又来いよーう」と呼びかけられたようなのは気の精だろうか?それに答えるかのように「春になったら来るけんなぁ」と山に向かって心の中で叫んだ。"さようなら"しがきの丸。

 帰路は八重地トンネル越えにし、徳島への道をひたすら南下した。(山下)

しがきの丸の地図
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