常念〜大天井〜槍

1999.7.24-7.26


 「行き」は常念岳定例山行の一員として17人で7/24に常念岳に立つ。これは別の山行報告に譲る。登頂後は16人と別れて単独行として常念小屋横のキャンプ上で幕営。ひさしぶりに20kg近い歩荷で1100mも登ったので少々バテ気味だったが、その分、小屋の生ビールを呑んだ時の咽越しはグンバツ(群抜)。西に穂高連峰を眺めながらガレ石の上に寝そべる。下界から10度以上も低い気温。風が吹く中惰眠を満喫。疲労とビールと睡眠と・・・三位一体。テントの中では一人寂しく、いや楽しく夕食をとる。ママをたくが、芯までやわらかくするためには水と時間を1.5倍もかけた。インスタント味噌汁、オイルサーディンと一汁一菜。下界では質素でも雲上ではうまい。食べ物のありがたさに感謝。

 夜は雨が降ったが朝は上がっている。4時起床5時20分発で大天井へ向う。道はしっかりしている。ザクの中から伸びたピンクのコマクサ(駒草)が愛らしい馬面をゆらす。大天荘(ダイテンソウ)に着くとすぐ裏が山頂。表銀座、燕岳方面がよく見える。大天井ヒュッテからは喜作新道に入る。きのうからずっと白い雲のシャッポをかぶった槍ヶ岳の鋭い三角錐が一瞬全体を右前方に見せたがすぐまた雲の中。見えたら足どりも軽くなるのにとうらみながら行くと、左にお花畑がずっとつづく。槍〜穂連峰が見えない不満を赤、黄、白、青など花々がなぐさめてくれた。

 高低差も少なくヒュッテ西岳までは快適。ヒュッテで1ケ300円のトマトと牛乳を呑む。常念からはじまって今日歩いたコースが全て見渡せる。小ぢんまりした小ぎれいな小屋である。

 ここまでの道は快適であったが、これから後は東鎌尾根と呼ばれ、UP・DOWNしながら、いやアップアップしながら、500mの標高差を槍岳山荘へ向う。途中、去年の地震で崩れたノコギリ状のヤセ尾根の道を修復している人たちに会う。長いハシゴもかけられていた。上がるにつれてやはりガスの中に入ってゆく。2900mから上は雲の中。尾根上のヒュッテ大槍がガスの中から現れたら槍ヶ岳は近い。

 10時間の歩行の末やっと槍ヶ岳山荘に着く。ガスの中、槍ヶ岳山頂に行く人が多い。吾輩はさっそくテント場でガレ石を利用してテントを張る。山荘から山頂までは目と鼻の先(約150mの標高差)であるが視界ゼロの中では登る気力がなく、テントでゆっくりと休む。食料はきのうとよく似たもの。ビールはやはり山荘で調達。生ビールもちゃんとある。今時はどの山荘でも生ビールがあるようで、何ともありがたい。しかし水1Pが200円とはちと高い(生ビール800円は、ここでは安いと思うくせに・・・)。

 7/26(月)早朝テントから頭を出してみると、2日間の雲が一粒もなく超快晴(やっぱり晴れ男)。山荘前から屹立(キツリツ)する「槍」にとりつく。岩ばかりであるがしっかりとしたホールドがあるので心配無用。しかし人は多い。15分で頂上に着いたが狭い所で100人も立っていられない。つぎつぎと登ってくるのでそそくさと下った。何とか写真はとったが時間が短く、人ばかりで印象が薄くなりそうだ。下りは飛騨乗越から新穂高温泉まで4時間半であった。

 3日間歩いてバテバテであったが非常に充実した山行であった。たまにはテントを持って、下界を離れた「雲の上の人」になってみようではないか。 天野

「阿波あすなろ山の会」
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