妙高山(2446m)と火打山(2462m)

1998.7.18〜19


メンバー:折目、加賀城、滝、久米(福)、永井、小林、太田、尾野

 自然保護の原点は「自然を道場にして遊びながら自然に畏敬の念を払う心の余裕だ」と僕はつくづく思う。そこには人命をも奪う読み切れない自然災害の怖さと人心を癒す天然美の両性を、まず感じ取る必要がある。競争登山や山の生活以外は、でも案外、登山の意味を単純にそんな所に求めてもいいのではないか。

 徳島の山より妙高、火打が断然良かったのは、久しぶりに見慣れぬ風景に出会ったのと、早くに国立公園に指定されるなど、文明国にあって人が意識的に自然を守った豊かさを感じ取れたからだ。

 具体的に良かったのを上げると切りがない。まず車を捨ててから早々と明るい広葉樹の森に通じたこと。山も第一印象は大切だ。黒沢に出て水量の豊かさに目を見張った。上部に相当潤沢な緑のダムという水瓶があることを予感させた。荷物が肩に食い込む頃でもあり「どんな森があるのか」と想像をかきたてることが登行欲につながった。

 「十二曲り」と呼ばれる坂道を踏ん張りやがて富士見平へ出たが、富士山は白雲のベールに隠れていた。これは残念だった。

 幕営地では、火打山を借景にした豊富な水と多種の花々を宝とする大湿原が疲れを忘れさせた。学生時代なら、小屋でバイトしながらひと夏過ごしてもいい別天地に映った。それと加賀城さんの料理が格別美味しく、せわしい普段の登山が嘘のようだった。

 妙高山は、よくある岩山だが彼方に波打つ連嶺が花を添えた。そして火打の東の焼山が昭和49年、不意に水蒸気爆発を起こして大学生3人の命を奪ったのもこの山の確かな歴史だった。

 一番の悔いは、雷鳥を見られなかったことだ。「こんな所にいまい」と決め込んでいたのが間違いだった。間違いは失敗の元。山の猛者なら、雷鳥が住むという事実を知るだけで、自然が純白のまま、どれだけ広がっているかを想像してもらえるはずだ。 尾野

「阿波あすなろ山の会」
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