上高地〜涸沢

1997.5.2〜5.5


メンバー:天野、中野

 5月2日夜、大阪駅からちくま83号に乗る。久しぶりの夜行列車である。ホームには登山客とスキーヤーが多い。乗ってみると席は充分空いている。1人2席は当る。いつものように床に銀マットを敷いて横たわる。長丁場はこれがよい。

 早朝松本駅で下車し、相乗りタクシーで上高地に入る。下界とは違って緑はまだ十分ではない。冬枯れの名残りを留めたような色が大方である。曇天の中、明神、徳沢から横尾へ。ここで槍ヶ岳方面への道と岐れ涸沢に向う。左に屏風岩が圧倒するように見降ろす。雪どけ水が雪渓の下からザーザー、岩をぬらす。雪渓はまだくさっていないので歩き易い。前方には前穂北尾根が白くそそり立つ。

 段々と急登になってヘトヘトになるころ、上に鯉のぼりがはためく。もうすぐ涸沢ヒュッテだ。やっと到着。おでんと生ビールで穂高に乾杯。手続きをしてテント設営。100張位か。しばし休憩していると雨がきた。

 翌日も4:00覚醒するも雨降り止まず。テントの下の雪は雨で15cmも減っている。ずっと降り続いたので、天野は沈澱と決めこむが、中野が動きたいというので13:40とにかく北穂沢を登ってみる。雨は止んだが時間がないので3分の1の所から引返して尻セードで下る。快適。

 涸沢に戻りテントを撤収して下る。18:00徳沢でテント設営。徳沢園は立派な建物で、ここで手続きをする。その夜も風がゴーゴー、雨降り止まずテントが吹き飛ばされそうな勢であった。

 5月5日早朝、天気はよくないが上高地を目指して下る。上高地からバスで松本へ。松本から名古屋までJR。名古屋から大阪まで近鉄。大阪から神戸へJR。とにかく乗りつぎにヘトヘトになった。久しぶりの重量山行にまいった。

 帰ってきてニュースで、5月5日にザイテングラートでなだれで1人死んだことを知った。その人の名は「徳島さん」。ヒマラヤも登る「ベテラン」の人らしい。我々の尻セードも軽率なことだったのかもと思ったりした。 天野

「阿波あすなろ山の会」
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