[戻る]

源蔵ノ窪(723.3m)

1993.10.31


海川の古老は、「昔は馬が(この山を)越えよったんやけんど今は(雑草が)生えていけんかもしれんなあ」と、路の有無を尋ねた僕に少し沈んだ応えを返してくれた。

山名に興味を持って来た訳だが、登りもせずに帰る訳にはいかなかった。地図通りの明瞭だった路は途中でぷつりと切れ、「やれやれ、案の定か」とウンザリ半分、愉快さ半分のよくあるいつものパターンとなった。

陽が高かったから、楽観して思う通り縦横に歩いてみた。すると、どうにか上へ上へと向かう踏み跡が見つかり、先行きに透明感が増してきた。

辿ってゆくと、天辺ではないもののどうやらその東端に至っていることが判明した。

そこからは、西へ凹部の多い馬鹿尾根を進めば良いのだった。そして、出発してからおよそ1時間10分で頂上へ立つことができたのである。

三角点のやや北側に、「明治15年 願主長ハ」と読める不動様と石造りの手洗いが並んであり、更にそれらを見守るようにして、幾星霜かさねた杉の大樹がすぐ脇に鎮座していた。

どの辺りに源蔵さんが住んでいたのか憶測してみたが、結局判るはずもなく、ふと振り返ると、杖でようやく体を支えながち歩く、白髪の長老がついて来ているような気がして想像するのが楽しかった。

天辺も含め、上部はびっしり植林で埋め尽くされており、期待していた平家平は望むべくもなく、残念ながら見るべき風景は1コマもなかった。(尾野)